浅学菲才の嘆息

山田朗さんの「昭和天皇の戦争認識:『拝謁記』を中心に」を読んで

 昭和天皇の戦争責任論は、今も二分される。少なくとも、1941年12月8日の「開戦の詔書」で昭和天皇が戦争開始を聖断し、1945年8月14日「終戦詔書」で終戦(敗戦)を聖断している点からすれば、天皇の最終判断で対英米戦争の始めと終わりを決断しており、戦争責任は天皇にあると私は考える。

 本書は、2019年にNHKスペシャルで放送された「昭和天皇は何を語ったか~初公開・秘録“拝謁記”~」を一つの転機としている。初代宮内庁長官田島道治の膨大な日記「拝謁記」が発見され、従来の昭和天皇の通説を覆すような新事実が発見され、複数の研究者が検証している内容を、長年昭和天皇を研究している著者として昭和天皇の戦争責任を検証する。第1部では、「『拝謁記』から見る昭和天皇の戦争認識」では、『拝謁記』を分析し、戦後における昭和天皇の時局認識に触れながら、昭和天皇の戦争認識がいかなるものであったかを明らかにする。第2部では、「支配として近代天皇制」では、システムとしての天皇制の断絶と連続について検証し、未完成なシステムとしての戦後の象徴天皇制を論じる。第3部では、「歴史から何を汲み取るか」では、戦争・植民地支配・言論弾圧の構造的一体性について考察する。

 『拝謁記』では、昭和天皇が極度に共産主義共産党に脅え、嫌忌、排除する感情が吐露される。19世紀~20世紀にかけて少なくない国々で王政が廃止された事への強い懸念、権力にしがみつく様が見え隠れする。しかし、昭和天皇の思いは、中国や北朝鮮ベトナムなどの国々の共産主義化に関するドミノ理論に取り憑かれた占領軍である米軍、守旧派の政治家や軍閥とも一体となって反共主義を醸成したようにも推察される。一方で、社会党日本共産党も盛衰を繰り返しつつ、再軍備に反対し、平和主義、民主主義を貫く国民世論は広がり、日本国憲法の普及は教育現場で徹底し、戦争しない国日本は定着する。

 昭和天皇は繰り返し、戦争は軍部の下克上と暴走であって、自分は「平和主義者」であって、戦争責任には曖昧な態度をとるが、田島道治昭和天皇を幾度となくたしなめている通り「詔書」による聖断をしている以上、最終的な戦争の責任者は昭和天皇になると考えるのが常識的ではないか。

 なお、昭和天皇めぐっては、今回の戦後の初代宮内庁長官田島道治の拝謁記、戦前、戦中の侍従長を務めた百武三郎日記、戦中の宮内省御用掛の松田道一の膨大なメモなど、次々と発見され、昭和天皇をめぐる歴史の事実に新たな発見があることをNHKが丁寧に取材し、検証している点を高く評価したい。

 

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山田朗:昭和天皇の戦争認識-『拝謁記』を中心に」.新日本出版社,2023(7月7日初版購読)

 

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