浅学菲才の嘆息

著者小林太郎さん、編者笠原十九司さん、吉田裕さんの「中国戦線、ある日本人兵士の日記 -1937年8月~1939年8月 侵略と加害の日常」を読んで

 下級兵士である著者の小林太郎の従軍日記を基軸に、日中戦争史の歴史の研究を続ける笠原十九司氏と近現代史の研究を続ける吉田裕氏(東京空襲記念館館長)が編集し、解説する。1937年7月7日の盧溝橋事件以後の1937年に8月に応召され、1937年12月13日の南京陥落~南京大虐殺を経て、1939年8月除隊する。中国では、中国人を徴発して輸送や調理を担当させる「你(にい)」や「豚」と揶揄し、同じく中国人を徴発して輸送をさせる苦力(クリ-)など、中国人への強制労働が平然と語られる。戦場では、輜重兵による物資輸送が滞る中で、現地徴発・原住民からの略奪で食料を調達、住居を燃やし、破壊しても、日本軍の当然の行為として淡々と綴られる。また、逃げ遅れた兵隊を刺殺・銃殺する写真も掲載され、第1次世界大戦の反省の上に確認された戦時国際条約であるハーグ陸戦条約に規定されてた、投降兵の保護、捕虜などの取扱は一切なされていない。また、転戦する町には、ピー屋(慰安所)と思われる記載もあり、戦争に伴う性のはけ口として、女性が性奴隷にされたことにも触れる。以外だったのは、戦線が拡大・縮小する中でも、手紙や物資の受け取りや差し出しが頻繁になされていることであり、郵便等がかなり整備されていた点である。

 近年、戦後の初代宮内省長官を務めた田島道冶の「(昭和天皇)拝謁記」が公表され、1936年の226事件で重症を負った鈴木貫太郎侍従長の後任として、戦前約8年間に渡って昭和天皇に使えた百武三郎の日記が公開され、戦前、戦中、戦後の昭和天皇史に新たな見方が加わってきている。階級の上下にかかわらず、兵士・将校の日誌が歴史の査証として広がり、歴史修正主義者に猛省を促したい。

 なお、アジア・太平洋戦争に従軍した兵士には、戦後軍人恩給が支給され、階級に応じて恩給が支払われいるとの事である。戦死後2階級昇進して大将になった、サイパン島の指令南雲、硫黄島の指令栗林、戦艦大和の艦長伊藤、沖縄戦の作戦指令牛島、などの将校クラスの遺族等には、年間1千万円近い軍人恩給が支払われていたとの報告もある。しかし、下級兵士の家族に幾ばくの恩給が支払われていたかは、これからの私の研究課題でもある。

 

小林太郎(著),笠原十九司.吉田裕(編):中国戦線、ある日本人兵士の日記-1937年8月~1939年8月 侵略と加害の日常.新日本出版社,2021(2月15日初版,6月5日第2刷購入)

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