浅学菲才の嘆息

小林祐児さんの「罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場修正法」を読んで

 近年、日本の青年たちが管理職に昇進する事を忌避する傾向が顕著になっているという話しを良く耳にします。特に、ハラスメント防止法、働き方改革、テレワークの普及など、新しいトレンドが管理職の負荷を増やし続けていると警告し、管理職の「罰ゲーム化」には、放置すると負荷が上がり続ける、まるでインフレ・スパイラルの様な構造が存在すると指摘します。今回は、課長などのミドルマネージャーの管理職の目の前に押し迫ってくる数々の「バグ=課題」について、数々の調査研究を例示しつつ、理解編、解析編、構造編、修正編、攻略編として、現実と改善策を整理していきます。管理職の役割を、情報、仕事、人、ルールの各コントロールとして整理し、管理職の現在置かれている状況を若者世代の考え方や日本型雇用の歴史的変遷も踏まえて分析します。経済における「失われた30年」について著者は、人事労務の面から「対話の欠如」が管理職問題の放置を生んだ原因であり、それが30年続いた姿が現在の日本と捉えています。また、管理者養成を研修受講などの「筋トレ」的発想では、マネージャーは養成できない事を戒め、フォロアーシップ、ワークシェアリング、(管理職同士の)ネットワーク(構築)、(管理職としての)キャリア(育成)の各アプローチを学び、実践することが管理職「罰ゲーム」の修正法として、具体例を例示します。最後の攻略編では、めざすべきは、積極的に「やらない」上司とし、「アクション過剰」を防ぐことこそが管理職として重要と提起します。

 

小林祐児:罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場修正法.2024(2月12日第1刷発行,2024年3月31日第3刷発行購読)

 

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加藤哲朗さんと小河孝さんの共著「731部隊と100部隊 知られざる人獣共通感染症研究部隊」を読んで

 防疫給水部・731部隊研究者一人である加藤哲郎氏が、軍馬防疫廠・100部隊の研究者で獣医学博士の小河孝氏と連携して、本著が出版された。

 明治維新による富国強兵の課題は、兵隊だけではなく、物資輸送等を目的とした軍馬の大量補充と体躯の大型化、馬鼻疽菌等の防疫が必要となり、軍馬防疫廠として100部隊が誕生した。日中・日露の両戦役でも軍馬不足は深刻で、アジア太平洋戦争でも軍馬不足が続いた。資源に乏しい日本は、航空兵力にガソリンを注力し、兵士や物資輸送に関する機械化部隊の整備が遅れ、また日本が侵略した地域の交通インフラの未整備は、より軍馬の需要を高めた。100部隊と731部隊関係者の証言や米ソの記録、特にソビエトハバロフスク裁判録、新たに発掘された部隊留守名簿、関係者の残した手記・自伝等、膨大な資料を追跡、分析し、100部隊と731部隊が相互連携して、人獣防疫にとりくんだ事実を積み重ねる。満州では、鼻疽菌を川に散布する野外実験を実施し、実際に鼻疽菌に感染した羊・牛・馬を放す計画も詳らかにする。また、風船爆弾を用いて、牛疫ウイルスをアメリカに拡散し、乳牛にダメージを与える計画もあった。東条英機は、最終的に対米攻撃で、日本の田畑が焼かれ、食糧難になる事を恐れ、作戦を断念したとする。

 戦後の731部隊同様、100部隊幹部は連合軍の訴追を逃れ、獣医学等の要職に就く。コロナ禍で、人獣共通感染症を使った国際法違反の細菌戦を告発する意義は何か。小河氏は、人獣共通感染症の世界的広がり、生物多様性の損失、地球温暖化などで、「ヒトと動物の健康と環境の健全性は一つ」というワンヘルスの考えが重要だと強調する。

 

加藤哲朗,小河孝:731部隊と100部隊 知られざる人獣共通感染症研究部隊.花伝社,2022(8月10日初版第1冊発行購読)

 

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猿田佐世さん編著の「米中の狭間を生き抜く 対米従属に縛られないフィリピンの安全保障とは」を読んで

 編著の猿田佐世氏は、弁護士として外交問題を研究する新外交イニシアティブ(ND)代表を務める。日本は、敗戦後の米軍占領統治と日米安全保障条約日米地位協定により、米軍駐留を許し続け、駐留米兵が起こす事件も日米地位協定が警察や司法権を大きくゆがめる。一方のフィリピンは、アジア太平洋戦争後に米軍駐留を許し、ベトナム戦争では日本の沖縄同様にアジアの重要な拠点となる。しかし、1965年に誕生したマルコス政権の独裁政治を経て、非暴力を貫くベニグノ・アキノの暗殺で、大きな国民運動となりピープル・パワー革命でマルコス政権を退陣させ、妻のコラソン・アキノ政権で民主化をはかる。国民的議論を深め、米軍駐留撤退を勝ち取り、旧米軍基地を経済利用して、めざましい経済発展を遂げる。しかし、中国の脅威と米軍の圧力に対して微妙な外交バランスを取りながら、比米軍事訓練は日本より数多く実施するなど安全保障政策を続ける。米軍が駐留しない中でしたたかな安全保障と外交政策で、紛争や戦争を回避し、非核政策をとりつつ、貧困と格差の課題は残しつつも毎年の経済発展を続けるフィリピン。一方で、フィリピンも加盟するASEAN東南アジア諸国連合)も米中が無視できない組織として、国際平和への存在価値を高めている。

 本著で、フィリピンの歴史と外交政策を学ぶ時に、同じアジア圏であり北東アジアの平和外交日本を展望し、沖縄県の一部の駐留米軍基地撤去後にめざましい経済発展を遂げている例など、対米従属路線一辺倒の日本の外交政策を見直すべき視点、国民世論と民主主義成熟の重要性を痛感した。

 

<蛇足>

 フィリピンは、16世紀から333年間スペインの植民地支配が続き、19世紀後半に米西戦争で米軍支配となり、1941年旧日本軍が侵攻し、マニラに軍政を敷いた。アジア太平洋戦争後は、再び経済的、軍事的な面からアメリカの実質支配を受けながら歩むことになる。アメリカ流の政治システムが採用され、大統領制や上院・下院の2院制が導入された立憲共和制をとる。しかし、民主主義は形骸化し、1965年に誕生したマルコス政権は、1972年に戒厳令を敷き、独裁政治を行った。議会は閉鎖され、政治機能が停止した上、反体制的な政治家やジャーナリスト、活動家など8000人が拘束された。マルコスの政敵であったベニグノ・アキノ上院議員は7年8ヶ月も牢獄につながれ、病気治療でアメリカに亡命した。ベニグノ・アキノが帰国した直後にマニラ国際空港で暗殺された。この暗殺事件を機に反マルコスの国民的な運動が大きく広がり、ベニグノ・アキノの妻であったコラソン・アキノが大統領に選ばれた。エデゥサ革命、ピープル・パワー革命、2月革命などと呼ばれる。この民主主義革命による景況は、フィリピンが世界77カ国中1位の民主主義先進国となっている(電通総研・同志社大学第7回「世界価値観調査」2017年~2021年)。

 マルコス独裁政権市民運動の形成により、コラソン・アキノ大統領はフィリピン憲法制定議論を進める。憲法制定委員会は多彩な顔ぶれで、最大の争点となった米軍基地と非核政策を含む憲法草案を採択した。米軍基地駐留については、フィリピン国内の世論は大きく割れ、アメリカ軍も圧力をかけたが、国民や議会の働きかけもあり、最終的にはアキノ大統領は1991年12月7日に、米政府に対して、翌1992年末までにスービック基地から米軍を撤退させるように正式に通告。1992年11月24日、停泊していた艦船等は日本の佐世保へ向かい、在比米軍基地はその歴史に幕を下ろしたのである。

 フィリピンの人びとの「真の独立」への積年の思いが議会を動かし、1992年をもってフィリピンの人びとは国内の米軍基地撤去を実現した。

 

猿田佐世(編著),元山仙士郎,島村海利,三宅千晶,巖谷陽次郎:米中の狭間を生き抜く-対米従属に縛られないフィリピンの安全保障とは.かもがわ出版,2021(12月8日第1刷発行,2023年2月28日第2刷発行購読.

 

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岡野八代さんの「ケアの倫理-フェミニズムの政治思想」を読んで

 フェミニズムを深く研究し、広め、そして社会運動に参加する著者だからこそ、男性の理論で構築された社会のなかで、女性たちが自らの声で語り、自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想、ケアの倫理を重層的に論説する。ケアの倫理とは、女性たちの多くが家庭生活にまつわる営み、すなわちケアを一手に引き受けさせられてきた社会・政治状況を批判することから生まれた、人間、社会、そして政治についての考え方、判断の在り方である。第1章から第4章までは、アメリカ合衆国が中心となるが、第二次世界大戦後のフェミニズム運動と、その経験から生まれたフェミニズム思想・理論のなかでいかに、ケアの倫理という新しい道徳が編み出されてきたかを多面的・複眼で検証する。第5章の「誰も取り残されない社会へ」では、「ケアする民主主義-自己責任論との対決」「ケアする平和論-安全保障論との対決」「気候正義とケア-生産中心主義と対決」など、社会・政治活動に関する行動提起を指し示す。終章では、コロナ・パンデミック後のケアに満ちた民主主義社会の在り方を提起する。全体を通じて、重厚な研究書であるが故に、挫けそうになる気持ちになりながら、読了後の充実感は半端ない。

 

岡野八代:ケアの倫理-フェミニズムの政治思想.岩波新書,2024(1月19日第1刷発行,2月15日第2刷発行購読)

 

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伊藤宣広さんの「ケインズ-危機の時代の実践家」を読んで

 ケインズは経済学者として、「雇用・理事及び貨幣の一般論」を発表し、マクロ経済学の理論を展開した。本書では、ケインズの研究や業績の背景を1910年代の第1次世界大戦後の戦後処理、金本位制復権問題、1930年代の世界恐慌など、時論を展開する必要に迫られた時代の実践家ケインズを描く。ミクロ的に合理的でもマクロ的に正しいとは限らない「合成の誤謬」となる政治的決断に抗い続けて、マクロ経済の「一般理論」に至った苦悩を描写する。「合成の誤謬」に関して、企業が利益追究のために従業員を軽視し、人件費を節約して非正規雇用を増やすという「合理的」行動をとると、社会の購買力は低下してしまう。人びとが将来に不安を抱き、節約をするという「合理的」行動をとると、有効需要は低下して経済は停滞する。以上のような経済学的な矛盾である「合成の誤謬の視点」から切り込んだ書籍であるが、経済学に明るくない私にとっては非常に難しい書籍でもあった。

 

合成の誤謬」とは?日本共産党

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合成の誤謬」は主に「近代経済学」の立場の人々が用いる用語ですが、“個々の経済主体にとっては合理的な経済決定であっても、すべての経済主体が実行すれば、目的とは逆の結果をもたらす”という意味で使うのが最近の用法のようです。

 いま日本では、大企業が中心になってリストラ競争を進めています。しかし、リストラによって一握りの企業が一時的に大幅増益の「V字回復」を達成したとしても、社会全体では賃下げや大量解雇によって消費が落ち込み、大多数の企業の経営環境はかえって悪化します。個々の企業の際限のないリストラ競争の結果、かえって多くの企業の存立が脅かされている今日の事態は、「合成の誤謬」の典型といえます。

 これにたいし日本共産党の第二十三回党大会決議案は、「無法なリストラに反対するたたかい」こそがこの悪循環を断ち切ることができ、「日本経済、日本社会の持続的な発展にとっても国民的大義を持つ課題となっている」と提起しています。

 「合成の誤謬」の用語は、アメリカの代表的なケインズ学派の経済学者であるサムエルソンの教科書などが、典拠になっているようです。サムエルソンの『経済学』は「序説」で「経済学の理論づけにおける落し穴」の一つに「合成の誤謬」を挙げています。『経済学』では「一部分について真であることが、その故に全体についても真であるとみなされるときに生ずる」誤りだと定義しており、さまざまな経済学上のパラドックス(逆説的な現象)の解説や古典派の学説批判などで、再三にわたり「合成の誤謬」に注意を喚起しています。「近代経済学」の学者が、小泉内閣の「構造改革」路線は深刻な「合成の誤謬」に陥っていると批判するときは、このような意味で使われています。

 (

 〔2003・10・1(水)〕 

 

伊藤宣広:ケインズ-危機の時代の実践家.岩波新書,2023(10月20日第1刷発行)

 

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「日本共産党第29回大会決定集」を読んで

 党創立102年目を迎えた日本共産党は、20204年1月に第29回党大会を開催した。戦前の非合法下での弾圧、戦後のレッドパージを乗り越え、3度の躍進を経ての到達点と第30回党大会に向けての具体的方針提起が行われた。日本共産党綱領では、大企業などの「独占資本主義」と対米従属という「帝国主義」を乗り越え、民主主義革命と民主連合政府の樹立をめざしているが、日本共産党が自ら指摘している通り、困難を伴う難事業であり、未来社会を民主的で、無差別・平等の日本をめざし、国際協調をめざす方針を持っている。

 今回の大会で、特徴的だったのは、東南アジアと北東アジアの比較である。東南アジアでは、ASEAN東南アジア諸国連合)によって、紛争を平和的話し合いで解決することを義務づけた東南アジア友好協力条約(TAC)を締結している。域内で年間1500回にもおよぶ会合を開くなど、徹底した粘り強い対話の努力を積み重ね、「分断と敵対」から「平和と協力」の地域へと劇的に変化させてきた。米国や中国も無視できない存在になってきている。一方で、北東アジアでは、①日米・米韓という軍事同盟と外国軍基地が存在、②米中の覇権争いの最前線に立たされている、③朝鮮半島で戦争状態が終結していない、④日本の過去の侵略戦争と植民地支配に対する反省の欠如という歴史問題、と指摘しており、国際協調と世界平和を願う一個人として、非常に参考になる対比であった。

 

日本共産党:日本共産党第29回大会決定集.日本共産党中央委員会出版局,2024(2月4日発行)

 

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平野卿子さんの「女ことばってなんなのかしら?『性別の美学』の日本語」を読んで

 ドイツ語翻訳者の著者が、翻訳するときに悩む日本語の性差について、西洋語と比較して、それまで気づかなかった日本語の特性について興味深く綴ります。日本語の曖昧な表現は、時として女性語が用いられ、またコンフリクトを避ける表現としても活用される言い回しが、外国人には難しく伝わります。開国から明治維新を通じて、本来差別的に扱われてきた女性語が、文明開化の時を経て、女性語として「女らしさ」の表現へと変わっていく様を、話し言葉や文学表現の中で、検証していきます。家父長制、男尊女卑、女性蔑視の意味合いで、「女」のつく漢字が作られます。嫉妬、「少年」と少女の対比での「少男」ではない矛盾、姦通罪、努力、怒りなども同類と思われます。

 終わりにで、ジェンダーギャップ指数が先進国で最下位の日本で、「この国のジェンダー格差がなくならないのは、既得権益を手放さないホモソーシャルな男社会にその最大の原因があるのはいうまでもありません」と断言する著者の切実な思いが伝わり、ジェンダー格差の解消が重要だと示唆します。

 

平野卿子:女ことばってなんなのかしら?「性別の美学」の日本語.河出新書,2023(5月30日初版発行購読)

 

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