浅学菲才の嘆息

赤旗編集局(編)の「日本の侵略 加害と被害の真実-忘れないために」を読んで

 「赤旗」記者が戦争体験者や専門家を訪ね、取材を重ねた書籍として、日本の侵略と加害の全体像を網羅的に、かつ平易にまとめた導入書となっている。

 歴史として必要な体験者の事実の積み重ね、専門家による加害と被害の事実を国内外の情勢との関係で分析されている点が、事実を浮き彫りとし、歴史的事実の相互関係や波及を理解し、洞察しやすく導き出してくれる。「慰安婦問題」の渡辺美奈さん、「『拝謁記』にみる昭和天皇」の吉田裕さん、「帝銀事件と日本の秘密戦」の山田朗らの分析や解釈は非常に重要な点を指摘している。オランダ領であったインドネシアでは、オランダ人女性が「慰安婦」として強制され、終戦後オランダに帰国した、ランダ女性たちの子・孫たちが、未だに日本の父親探しを取り組んでいる事を忘れてはならない。

 

閑話休題

 戦後の初代宮内庁長官を務めた・故田島道治が、昭和天皇との600回に及び対話を記録した手記(1945年~1953年)が公開された。「拝謁記」と題された手帳やノート計18冊。遺族から提供を受けたNHKが一部を公開した。

 昭和天皇は、軍部の「下克上」を繰り返し指摘しているが、統帥権を持つ天皇が適切に判断しなかった事を棚に上げて、軍部への反省を促している点に違和感を禁じ得ない。

 張作霖爆殺事件では、1952年5月30日「下克上を早くこんぜつしなかつたからだ。田中(義一)内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ」

 南京事件では、1952年2月20日支那事変で南京でひどい事が行ハれているといふ事をひくい其筋でないものからウス~(うすうす)聞いてはゐ(い)たが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつたが市ヶ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。私の届かぬ事であるが軍も政府もすべて下克上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰り返したくないものだ」

開戦については、1951年12月17日(天皇なら太平洋戦争を開戦前に止められたのではないかとという疑問に対し)「そうだらうと思ふが事の事実としてハ下克上でとても出来るものではなかつた。」 

 

赤旗編集局編:日本の侵略,加害と被害の真実-忘れないために.新日本出版社,2021(7月15日初版購読)

 

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