浅学菲才の嘆息

田中ひかるさんの「明治のナイチンゲール大関和(ちか)物語」を読んで

 本書は明治期に看護婦の黎明期として活躍した大関和の伝記であり、日本の医療と看護を歴史的時代背景の中で広く捉え、看護婦養成制度の基礎などを学ぶ事ができる書籍である。明治に入って「金のために汚い仕事も厭(いと)わず、時には命まで差しだす賤業(せんぎょう)」と見下され、看病婦や莫連(ばくれん・すれっからし)、時には姦互婦(かんごふと当て字)して、派出先で売春を行っていると蔑(さげす)まれた看護婦たち。

 大関和は、幕末の喧騒(けんそう)に翻弄(ほんろう)されつつも嫁いで2子を授かるが、妾との関係を清算しきれない夫に三行半を突きつけて離別する。当時としては、許されない女性からの離縁であったが、家父長制、男尊女卑、一夫多妻制など、当時の女性蔑視に対する嫌悪感が大関和の根底にあるように思える。生活のために、鹿鳴館で働き、英語を学び、キリスト教の洗礼を受け、窮民救済活動などにも参加する。明治20年1878年)桜井看護学校に入り、学んだ英語を活用して級友とナイチンゲールなどの書籍を翻訳し、看護の知識、技術を習得する。座学と実習の充実した2年間を過ごして卒業し、日本のトレンド・ナースの草分けとなる。病院外科病棟の看病婦取締(婦長)として、手腕を発揮するが、医師達との軋轢で失職。人脈もあり越後高田の「知命堂病院」で大関和を理解する医師に恵まれ、後進の育成を旺盛に進め、地域の疫病であったコレラ赤痢などの感染対策でも手腕を発揮する。家族との離別の生活に終止符を打ち、帰京。東京看護婦会に関わり、今でいう訪問看護の先駆けともいえる派出看護婦として、複数の書籍も執筆し、後進の育成や看護婦の資格や地位向上も取り組む。人の命を奪い合う日清・日ロの両戦役で、人のいのちを救う看護婦の地位が確立される。生涯をかけて看護婦として実践で活躍し、生活困窮層への炊き出しや医療支援なども行い、女郎として売られた女性にも積極的に関わり、女性の更生施設、今でいう女性のシェルターにも主体的にかかわり、女性の独り立ちを支援する。大関和を中心とした家族愛やシスターフッドの歴史を学ぶ書籍としても、非常に勉強になる1刷となった。

 

田中ひかる:明治のナイチンゲール大関和物語.中央公論新社,2023(5月10日初版発行購読)

 

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