浅学菲才の嘆息

中村光博さんの「『駅の子』の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史」を読んで

 戦争がおわってから闘わざるを得なかった戦争孤児の事を知ってほしい。1945年の本土空襲が激化した敗戦前夜から敗戦後にかけて、親類に頼ることが難しい空襲被害者たちは、駅舎や地下坑道を占拠し、雨風をしのがざるを得なかった。特に、両親を亡くした子供たちの辛苦は、筆舌に尽くしがたい。生きるためには、スリや万引き、泥棒に手を染めて生き延びた子供たち。見捨てられて餓死し、自ら命を絶った子供たち。戦争をはじめた大人たちは、そんな子供たちを汚物でも見るように、野良犬のように蹴散らし、面罵する。児童福祉等に関する法整備が進む中で、「狩りこみ」にあい、鉄格子のある建物に軟禁状態で収容される子供たち。一方で、公的支援は乏しく、個人で施設を開設し、子供たちを優しく支援する大人たち。戦争孤児の方々は、口をそろえて親類宅での苦しみを語る。家族と親類との近くて遠い壁は想像を絶する。

 

閑話休題 敗戦後に闘った日本人

敗戦を知り、徹底抗戦を訴えて特攻の巻き添えにあった航空兵。クーデターを目論んだ、軍部とその犠牲者(半藤一利の書籍「日本のいちばん長い日」参照)。

敗戦の報を知らされず、樺太・サハリンで抗戦を続け、非難中に殺された民間人たちや南方で発見された小野田寛郎陸軍少尉、横井庄一氏。

敗戦と同時に、ベトナム軍に加わった日本人、中国で蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる八路軍に組み込まれた軍人や医療従事者などの民間人。その他の国々でも各国の戦士として闘い、もしくは異国で家庭をもって暮らした日本人。

戦争がおわってから闘い続けた日本人が少なくない事はあまり語られない。一方で、占領軍(進駐軍)の流入により日本の女性が辱めを受けると、敗戦後1週間で占領軍(進駐軍)向けの慰安所開設に奔走した日本の政治家たちがいたことも忘れてはならないだろう。

 

2018年8月12日放送 NHKスペシャ 

2018年12月9日放送 BS1スペシャ

 

中村光博:「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史.幻冬舎新書,2020(1月30日第1刷発行,2020年2月17日第2刷購読)

 

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