浅学菲才の嘆息

逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」を読んで

 2月にウクライナ問題が勃発した直後、読書友達から強く薦められ購読した。第11回アガサクリスティ賞受賞、読み終わる頃に本屋大賞受賞と、多くの読者や私の心を掴んだ重厚な1冊。第2次世界大戦のソビエトにおいて、セラフィマは目の前でドイツ兵に家族を殺され、自身もレイプの危機に瀕した所を赤軍ソ連兵に助けられ、元狙撃へのイリーナから究極の選択を迫られ、セラフィマは狙撃兵となるべく訓練を積み、実践を重ねる。女性狙撃兵としての冷酷な判断をたたき込まれ、一方で男性兵士から侮蔑される。スターリングラードの攻防では、同志兵士との軋轢、激しい戦闘、心理戦が絵に描いたように浮かぶ。捕虜となったセラフィマのドイツ兵との応酬は手に汗握る。かつての独ソ戦の現実が今ウクライナで行われている。それは、住民を巻き込んだ虐殺、略奪、性暴力。赤軍こそは軍紀正しいと信じて疑わないセラフィマは、赤軍もまた婦女子に性暴力を行う幼なじみに唖然とする。戦争とは、人を狂わせ、人権を蹂躙し、そして男性兵士が集団で民間人女性へ性暴力を繰り返す。

 1937年の南京大虐殺では日本陸軍が中国人のクーニャン(少女)への大規模性暴力、1945年終戦後の旧満州ではソ連兵が日本人民間人に性暴力と性接待の強要。オリバーストーン監督の映画「プラトーン」のベトナム戦争の描写でも、村を襲った米兵が集団で村娘を襲うシーンが流れ、レイプを止めようたしなめる主役のチャーリーシーンは、レイプしようとした兵士達から「おかまやろう(日本語訳)」と侮蔑されるが、根底に流れる女性の物化、性の商品化は現代のジェンダー平等の運動に通じると感じるのは私だけだろうか。そして、ウクライナでも次々と明かされる女性への性暴力の実態。戦争は、民間人、女性、子ども達など、最も弱い立場の人びとに被害がおよぶ。戦争のない世の中を目指す世論、連帯と連携で国際協調を進めようと呼びかけたい。

 

逢坂冬馬:同志少女よ、敵を撃て.早川書房,2021(11月25日発行,2022年3月15日17版購読)

 

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