浅学菲才の嘆息

保坂正康さんの「昭和史の急所 」を読んで(5)私が考える「昭和天皇の戦争責任」

 

昭和天皇の戦争責任」ひとつの論考より

  

 昭和前期の戦争を体験した世代の人たちの心底には、政治的、思想的な信条を別にして<あの先生の戦争責任は誰にあるのか。昭和天皇にも戦争責任があるのではないか>との疑問があるということである。

 こうした質問を、私は必ずといっていっていいほど受ける。私の答えは明確である。

 <昭和天皇に「戦争責任」はある。昭和陸軍が、天皇を利用したとか、その意に反しての行動だったとか、とにかく各様の論があるが、そこには重要な視点が欠けている。天皇の名において行われた戦争である以上、昭和天皇には戦争責任は存在する。これは政治的、思想的次元の理解ではなく、社会的常識の枠内のことである。問題はこの責任をどのように峻別して、どのように問うていくかという点にある。開戦、敗戦、あるいは軍部の行動を是認して解体していくプロセスか、とくにかくこの責任を計画にしておくことが重要だと思う>

 むろん反発する戦争体験者もいる。しかし、私はそのような言にふれるたびに、戦争責任を認めないのは、昭和天皇に対する重大な侮辱ではないかと思う。なぜなら、その考え方は天皇を意思をもつ存在として認めていないと語っているに等しいからである。現実に昭和天皇自身が、戦争責任を痛感していたし、それに類する言葉を至るところで述べているからだ。

『昭和陸軍の研究(下)』(562

 

保坂正康さん

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7

 

保坂正康:昭和史の急所.朝日新聞出版,2019(5月30日第1刷発行)

 

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