オードリー若林正恭さんが、執筆された「ナナメの夕暮れ」を読ませていただきました。
若林正恭:ナナメの夕暮れ.文芸春秋,2018(8月30日第一刷発行)
売れっ子芸人である彼の生い立ちから、現代青年の生きづらさを垣間見ることができた。現在の、閉塞感の根源は何なんだろうと、逡巡をめぐらしました。
浅才非学な私みたいなものでも、理解できる日が来るのだろうかと、これまた嘆息が漏れるのでした。
以下、一部抜粋
1.P4
前略
今の僕なら、当時16歳の自分にこう言うだろう。
「第一ボタンをしめなければならないのは、支配者が効率的に統治するためだよ」
それは支配者に対する忠誠心を示すもので、反対にしめないことは抗議の意思の表明になってしまう。
それは、社会に出てからあらゆる支配者の統治に従う予行演習のようなもので、それを拒否するなら退学するか制服の無い学校に転入するかが選択肢となる。
第一ボタンを何の疑問も持たずにしめられる人は、きっとなんの疑問も持たずに生きていける。
だけど、疑問を持ってしまう人は「自分探し」と「社会探し」をしなければ「生き辛さ」は死ぬまで解消されない。
自分は何が好きで、何が嫌いか。
自分が何をしたくて、何をしたくないか。
「めんどうくさい人」と言われても「考えすぎ」と何度も言われても、
この国を、
この社会を、
この自分を、
解体して解明しなければ一生自分の心に蓋をしたまま生きることになる。
後略
2.P214
前略
そういうこの国に今も存在している年功序列や同調圧力、建前や社交辞令。それらが成り立った背景を知りたかった。
それを批判したいのではなく、あくまで生き方音痴が疲れないで生きるためにゲームの攻略本を読むような気持であった。
同時に、そういう風潮が消滅しつつもあるような今の流れもどこからきているのか知りたかった。
後略