浅学菲才の嘆息

平井和子さんの「占領期の女性たちー日本と満州の性暴力・性売買『親密な交際』」を読んで

 著者の平井和子氏は、一橋大学名誉教授の吉田裕氏のゼミ生を経験し、上野千鶴子氏や蘭信三氏と共に著書「戦争と性暴力の比較史へ向けて(岩波書店)」で協同研究を行った一人である。それ故に、近現代史を多面的に研究しつつ、戦時性暴力やジェンダー社会科学研究センターでの活動も通じて、本書の出版となった。

 戦前戦後の日本は、男性リーダー達によって「危機に際して女性を差しだす」暴力構造であった事を鋭く指摘する。1945年8月15日の敗戦後わずか3日目には、日本の誇り「大和撫子」を守らんとする政府・警察は、占領軍向けの性慰安施設(RAA)を全国各地に建設する。「大和撫子」を守るとしつつも、結局は女性が供され、かつ事務員募集などによる甘言によって慰安施設で働かされた日本人女性を告発する。一方、敗戦後の満州引きあげでは、暴徒化する中国人や匪賊に脅える取り残された日本人は、ソビエト兵に護衛を依頼するが、生け贄としての性接待女性の提供を取り引きし、生き延びて帰国する。長年口を閉ざしてきた女性たちが、近年になって公表し、テレビ番組や書籍となってその悲劇を語り継ぎ、慰霊碑が立てられるなどの取り組みも行われている。後半では、神奈川県や静岡県の占領軍駐屯地で大々的に広がった慰安施設とそこで働く「パンパン」に関わるエゴドキュメントを重層的に検証する。敗戦後に引き上げてきた帝国陸軍軍人の頑張りが足りず、敗戦の憂き目にあったと冷遇する銃後の日本人批判。自国女性を戦勝国兵士へ売る復員兵など、女性をものとしか捉えない当時の荒んだ思考が錯綜する。各章をまとめる形で、女性を犠牲にしてきた男性の問題は第一義的問題であるとしつつ、女性たちが主体的営為(エイジェンシー)を発揮して、資源と機転をフルに使って生きようとする。あるものは、占領軍の資源を確保して近所の住民と分け合い餓えをしのぎ、あるものは占領軍のオンリーとなって豊かな生活取り戻し、あるものは自衛手段として頭を丸刈りにするなど男装して、占領軍の性暴力を未然に防ぐなどで防衛した。

 最後に、全編に貫かれているのは、気が遠くなるような調査・研究を通じて、巨大な性暴力をあぶり出した点である。また、貴重な資料と証言からその内実をつまびらかにし、被害女性たちの声を戦後史の暗闇から掬い出す大作となっている。

 

平井和子:占領期の女性たちー日本と満州の性暴力・性売買「親密な交際」.岩波書店,2023(6月29日第1刷発行購読)

 

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藤田早苗さんの「武器としての国際人権-日本の貧困・報道・差別」を読んで

 2023年11月の会議で、12月に本書に関する講演を聴講できることを知り、慌てて取り寄せて購読した。聴講はオンラインかと思ったが、対面にて聴講させて頂いた。著者も講演の冒頭で触れていたが、「武器」としての国際人権の「武器」に違和感持つことについては同感である。しかし、書籍の内容は「人権」を研ぎ澄まし、ユニバーサル=普遍的に「人権」をとらえる重要性を重視している。日本が「Universal」を「世界」と訳した事が、そもそもの課題で、「普遍的にとらえる」ことの重要性は説得力がある。

 本書は、国際人権の概要を説明し、日本における貧困と生活保護、食料への権利、生理の貧困など、日本政府の大臣などが強弁する論点のすり替えや論点ずらしを喝破する。ビジネスと人権、情報の自由と日本政府の黒塗り文書公開問題、メディアの中立性の課題など、諸外国と比較して歪な状態は、そもそも第2次安倍内閣が行った2013年の特定秘密保護法が諸悪の根源と指摘し、警鐘を鳴らす。男性の問題でもある女性の権利とジェンダー課題、入管収容の人権問題など、今の日本の現状と課題を「人権」を視点に紐解く。世界各地にいる人権に関する特別報告者を介して、日本の「人権」課題に提言を行ってもらうことで、日本政府の歪んだ対応を質そうとする提案は、地域主権を基礎にしつつ、国際的「普遍性」を前提とした実践が重要な事を学んだ。

 なお、職場や地域で同調圧力に屈し、または過剰適応によって、押し黙る日本人。著者は、クリティカルフレンド=批判をする友達の重要性を指摘するが、自身の課題としても、言動に注意を払いながらも「批判する友人」として、職場の同僚や地域の方々と接していく重要性も学んだ。

 

藤田小苗:武器としての国際人権-日本の貧困・報道・差別.集英社新書,2022(12月21日第1刷発行,2023年5月17日第3刷発行購読)

 

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高橋弘希さんの「叩く」を読んで

 本作は、短編5編をまとめた書籍である。書名の「叩く」とは、第1編の主人公が「タタキ」となり金銭を盗む刹那、「タタキ」の紹介者に裏切られて殴打され、意識が戻るところからはじまる。面が割れ、このままでは捕まる。いっそのこと住人を殺害するか逡巡する心の揺れ。社会不適応やギャンブル依存となって生活困窮し、「タタキ」=犯罪に手を染めた自身の自堕落的生活を回想する。生育歴も含めて、自分が直面してる現実と思考のズレに主人公が気づいていない課題を浮かび上がらせる。第2編のアジサイにおいても、体調不良の妻を気遣うつもりで、外食を外ですませて帰ってくる夫。そんな夫に三行半を突きつけた、妻の気持ちが理解出来ない家父長制にどっぷり浸かった夫の認識のズレが際立つ。他編では、開発と環境破壊の問題、東日本震災で父を亡くした女子高生の日常生活と父への思いが溢れる。人間の深層心理をあぶり出し、登場人物は自分かもしれないと感じる作品でもあった。

 

高橋弘希:叩く.新潮社,2023(6月30日発行購読)

 

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山田朗さんの「昭和天皇の戦争認識:『拝謁記』を中心に」を読んで

 昭和天皇の戦争責任論は、今も二分される。少なくとも、1941年12月8日の「開戦の詔書」で昭和天皇が戦争開始を聖断し、1945年8月14日「終戦詔書」で終戦(敗戦)を聖断している点からすれば、天皇の最終判断で対英米戦争の始めと終わりを決断しており、戦争責任は天皇にあると私は考える。

 本書は、2019年にNHKスペシャルで放送された「昭和天皇は何を語ったか~初公開・秘録“拝謁記”~」を一つの転機としている。初代宮内庁長官田島道治の膨大な日記「拝謁記」が発見され、従来の昭和天皇の通説を覆すような新事実が発見され、複数の研究者が検証している内容を、長年昭和天皇を研究している著者として昭和天皇の戦争責任を検証する。第1部では、「『拝謁記』から見る昭和天皇の戦争認識」では、『拝謁記』を分析し、戦後における昭和天皇の時局認識に触れながら、昭和天皇の戦争認識がいかなるものであったかを明らかにする。第2部では、「支配として近代天皇制」では、システムとしての天皇制の断絶と連続について検証し、未完成なシステムとしての戦後の象徴天皇制を論じる。第3部では、「歴史から何を汲み取るか」では、戦争・植民地支配・言論弾圧の構造的一体性について考察する。

 『拝謁記』では、昭和天皇が極度に共産主義共産党に脅え、嫌忌、排除する感情が吐露される。19世紀~20世紀にかけて少なくない国々で王政が廃止された事への強い懸念、権力にしがみつく様が見え隠れする。しかし、昭和天皇の思いは、中国や北朝鮮ベトナムなどの国々の共産主義化に関するドミノ理論に取り憑かれた占領軍である米軍、守旧派の政治家や軍閥とも一体となって反共主義を醸成したようにも推察される。一方で、社会党日本共産党も盛衰を繰り返しつつ、再軍備に反対し、平和主義、民主主義を貫く国民世論は広がり、日本国憲法の普及は教育現場で徹底し、戦争しない国日本は定着する。

 昭和天皇は繰り返し、戦争は軍部の下克上と暴走であって、自分は「平和主義者」であって、戦争責任には曖昧な態度をとるが、田島道治昭和天皇を幾度となくたしなめている通り「詔書」による聖断をしている以上、最終的な戦争の責任者は昭和天皇になると考えるのが常識的ではないか。

 なお、昭和天皇めぐっては、今回の戦後の初代宮内庁長官田島道治の拝謁記、戦前、戦中の侍従長を務めた百武三郎日記、戦中の宮内省御用掛の松田道一の膨大なメモなど、次々と発見され、昭和天皇をめぐる歴史の事実に新たな発見があることをNHKが丁寧に取材し、検証している点を高く評価したい。

 

www2.nhk.or.jp

 

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山田朗:昭和天皇の戦争認識-『拝謁記』を中心に」.新日本出版社,2023(7月7日初版購読)

 

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市川沙央さんの「ハンチバック」を読んで

 某新聞の著者取材記事を読んで興味が湧き、珍しく書店での購読となった。第128回文学界新人賞を受賞したデビュー作で、第168回芥川賞を受賞している。サクッと読んだつもりが、読みにくい漢字や流れを読み飛ばしてしまい、消化不良となり、インターネットで丹念に語句を調べながらの2度読みとなった。

 先天性の筋疾患を患い人工呼吸器と電動車椅子で、施設で暮らす40代の女性釈華。「本に苦しむせむし(ハンチバック)の怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないだろう」と本を持ってページを自在に繰れる等の健常性を要求する紙の本を憎む。一方で、性に対する羨望、もしくは渇望もさらけ出す釈華。日常生活やデジタル化に伴う、健常者優位主義をマチズモとルビを振る著者の思いとは。QOLやバリアフリーなどが叫ばれて30年以上経過するが、本当に全人間的に公正な社会として発展しているか。駅の改札は、相変わらずマジョリティ有利の右利き仕様になっている点など、社会の矛盾を考える機会となった。

 

市川沙央:ハンチバック.文芸春秋,2023(6月30日第1刷発行,7月25日第5刷発行購読)

 

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染谷一さんの「ギャンブル依存-日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか」を読んで

 アメリカの精神医学会(APA)の精神疾患診断分類、「DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル」には、2013年から「ギャンブル障害」が掲載され、正解保健機関(WHO)の国際疾病分類第10版(ICD-10)では、すでに「病的賭博」として分類されてきた。

 日本のギャンブルの歴史は古く、西暦689年には持統天皇が賭博としての「双六の禁止令」を出したほど、賭博は常に市井の中で息づいていた。そして、直近のデータでは、2014年時点で「国内にギャンブル依存症が疑われる人口は536万人(厚労省)」。チンコ、パチスロ、闇カジノ、競馬、競輪、競艇オートレース、宝くじ、ロト6など、日本では日常にギャンブルがあふれている状態でもある。そして、ギャンブル依存症者は、家族からの金銭の援助では飽き足らず、最終的には多重債務に陥り、生活破綻する。IR(総合型リゾート)を推進したい日本と財界の思惑は、2020年4月にギャンブル依存症への集団治療が保健適応されたことで幕引きを図っているようにも思える。ギャンブル依存症に陥った5人の詳細な事例紹介からは、生育歴や生活暦の重要性、報酬系となる神経伝達物質ドーパミン放出を分かりやすく解説する。

 なお、韓国では約20年前にパチンコを全廃したことを、ある書評で読んだ。日本も公営ギャンブルなどで、国民の苦難を扇動する事に終止符を打つべく、政治がもっと動くべきである。

 

なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか

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染谷一:ギャンブル依存-日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか.平凡社新書,2023(7月14日初版第1冊発行)

 

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深沢潮さんの「李の花は散っても」を読んで

 本作品は、時代背景として元号では大正時代、西暦では1910年に朝鮮併合を行ったあとの日本と朝鮮の歴史について世界史を俯瞰しつつ2人の女性の生涯を丁寧に描く。一人の女性は、朝鮮王朝に嫁いだ日本の皇族の方子。日朝融和の象徴としての政略結婚に五里霧中する気持ちの揺れ、何とか夫である李垠を支え、子孫繁栄と家族の安寧を願う生活を丁寧に描写する。一方、もう一人の生活困窮した日本人の少女マサは、基督教信者で朝鮮独立運動を続け、厳しい拷問にも耐えながらも祖国の独立運動に身を投じる男性に恋心を寄せ、夫婦になる。世情や日常生活を丁寧に描きつつ、忍び寄る軍靴、そして帝国日本の敗戦による占領政策により、日本国内で没落していく垠と方子は一子の成長に一縷の望みを託し、生きがいを見いだそうとする。一方のマサは、日本人であることをひた隠しにしながら朝鮮で生き続ける決意を固め、帰らぬ夫を待ち続ける。2人の女性の全く異なる境遇が、最後に一つの線、そして縁としてつながる様は、さすがに著者の真骨頂と言えるだろう。

 

深沢潮:李の花は散っても.朝日新聞出版,2023(4月30日第1刷発行購読)

 

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