浅学菲才の嘆息

古屋星斗さんの「ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由」を読んで

 昔から「今の若いものんは」と先輩達が嘆いていたが、今も昔も「今の若者」の対応と育成には苦慮する。社会背景や生活歴の違いも大きく関与するだろうが、2020年代の若者の特徴を、リクルートワークス研究所主任研究員の古屋星斗氏が、統計資料等も含めて検証する。氏が指摘するのは、労働法制の変化も要因とする。2015年に「若者雇用促進法」が施行され、採用活動の際に自社の残業平均時間や有休取得率、早期離職率などを公表することが義務づけされた。2019年には働き方改革関連法による労働時間の上限規制が大企業を対象に施行された。他にも2010年代後半から現在に至るまで、非常に多くの職場に関する法令が改正された事が要因の背景にあると指摘する。確かに、長時間過密労働などのブラック企業を問題視し、国会で追及した吉良よし子参議院議員の国会質疑は秀逸であった。一方で、若者の早期退職は後を絶たず、これまでの終身雇用制度から、ジョブ型雇用など、転職によるスキルアップこそが金科玉条のごとく、テレビCMも垂れ流される。若者退職の原因は、長時間過密労働などの労働負荷ではなく、スキルアップに関する焦り=焦燥感が一面としてあると指摘する。SNSの普及と共に、友人や知人が「大きなプロジェクトを任され達成した」「起業して成功している」などの情報より自分のスキルに不安を覚えての転職も少なくないと指摘する。

 若者をどう育てるか、大きなプロジェクトで一気にそだてるのではなく、「スモールステップ」による小刻みな育成の重要性を指摘する。また、学生時代からのインターンシップの期間を長くするなど、学生と企業との距離を縮めて、採用につなげることも重要だと指摘する。一方で、ハラスメント問題により管理職が適切な指導を忌避する傾向が強まり、若手職員への指導が不十分になっていることも指摘する。録音して訴えられるのではないかと脅える上司は指導にも気を使う。しかし、管理職が「勇気を持ってしっかりと自分の意見を若手に伝える」事が重要だとも指摘する。従来の様に一杯飲みに行って「不満を聞いてガス抜きしたら終わり」といった単純な時代でないことに留意して、若手職員の育成とキャリアアップ、職場への帰属意識を持たせる組織風土を醸成するには様々な創意工夫が必要だ。

 

古屋星斗:ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由.中公新書ラクレ,2022(12月10日初版,2023年1月25日再版購読)

 

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映画「こんにちは、母さん」を鑑賞して

 映画「こんにちは、母さん」を鑑賞した。冒頭、東京駅や東京スカイツリーなど超近代化した風景と対照的な、下町の風情が今も息づいている東京を巨匠が見せる。

 各キャストの心情、喜怒哀楽、ときめきと落胆、山田監督らしい人間味を前面に押し出した展開に、声を出して笑い、落涙するシーンは少なくない。社会の中での人間の営みや価値観、何が幸せなのだろうか、諸処考えさせられる作品となった。

 どうしても寅さんや山田作品を思い出してしまうシーンの数々に感慨深い思いに包まれて。

 

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保坂正康さんの「歴史の定説を破る-あの戦争は『勝ち』だった」を読んで

 黒船来航で、江戸幕府が倒れて大政奉還し、明治政府が樹立されるも外国からの不平等条約で経済困窮に喘ぐ日本。戊辰戦争西南戦争などの内戦を克服し、欧米列強並みに振る舞おうとして背伸びするが限度がある。歴史では、日清・日露の両戦役に勝利したとされるが、著者の分析では必ずしも日本に有利な条件は引き出せておらず、本当に勝利と言えるか。明治以降、ほぼ10年に1回の戦役を続け、ついにアジア・太平洋戦争で大敗を喫した日本。敗戦の反省の上に平和憲法を樹立し、78年間他国と戦争していない国は珍しい日本。敗戦の反省と被爆という悪夢こそ、戦後日本の復興と勝利があったのではないかと投げかける。

 戦争と言えばクラウゼビィッツの戦争論から始まる。戦争は、①生存手段の確保、②安心できる空間の確保、③支配欲、の3つが絡み合って始まる。また、局地戦闘に勝利しているにもかかわらず戦争に負けた日中戦争ベトナム戦争など枚挙に暇がない。昨今のウクライナ戦争は、クラウゼビィッツのテーゼと異なっているのではないか。また、従来の戦争を変え、プーチン大統領が核の使用をちらつかせ、第2次世界大戦以上に機械化部隊が全面に立ち、ドローンを使った新たな戦術も生まれ、戦争企業が参戦して戦争の営業行為に転じている。一方で、サイバー戦争で戦争の一部が不可視になっている部分も否めない。

 あらためて、本書は「戦争は敗者の選択なのだ」とし、それを逆説的に検証しようと試みた意図がある。近代日本史は戦闘に勝ったと喜び、自省や自己点検を怠り、そしてやっと最後の太平洋戦争で「勝った」のだとする。新たなテーゼの獲得に成功したのだとするが、どう判断するか著者らしく問題提起を投げかける。「負けるが勝ち」を日本は体現しているのか。新たな戦前にならぬよう更なる平和を希求する声を重ねることが必要だ。

 

保坂正康:歴史の定説を破る-あの戦争は「勝ち」だった.朝日新書,2023(4月30日第1刷発行購読)

 

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三浦ゆえさん企画・構成の「50歳からの性教育」を読んで

 ライターの三浦ゆえ氏が企画・構成を立案し、村瀬幸浩さんをスーパーバイザーとして、著者5人の各テーマの執筆と村瀬幸浩さんと田嶋陽子さんの対談である。更年期の基礎知識と向き合い方。思い込みによるセックスの誤解解消の気づき。パートナーシップによる相手への尊重と傾聴。性志向と性自認の理解。性暴力加害者にならないための知識。そして、「ジェンダー」と「らしさ」をめぐる重鎮対談。受け身こそ「女性らしさ」という呪縛から脱却し、自己主張をもっと積極的にと女性を励ます。ペニス信仰、勃起・挿入・射精という男根主義に慣らされている男性への痛切な批判。性の歴史と在り方を平易に解説し、50歳から学び直そうと提案するが、自省を込めて全世代で学び直すべき課題として、多くの人々に読んで欲しい。

 

三浦ゆえ企画・構成,村瀬幸浩,高橋玲奈,宋美玄(ソンミヒョン),太田啓子,松岡宗嗣,斉藤章佳,田嶋陽子著:50歳からの性教育.河出新書,2023(4月30日初版発行購読)

 

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映画「福田村事件」を鑑賞して

 2023年9月1日は関東大震災から100年。新聞やニュースで、様々な記事が紹介されているが、2023年9月4日にNHKで放映された映像の世紀バタフライエフェクト関東大震災ー復興から太平洋戦争への18年」では、関東大震災当時の時代背景、震災の悲惨さ、そして防災訓練が、いつしか戦争の準備のための防空訓練へと変質した経過を追う。震災後のラジオの発達とともに今も続くラヂオ体操が開始されたのは、奇しくも3.15事件で社会主義者共産主義者治安維持法違反で多くの犠牲者がでた年であった。

 今回は、関東大震災にかかわる映画「福田村事件」を鑑賞した。関東大震災当時の時代背景や生活様式、村内の人間関係など、丁寧に描かれている。森達也監督は「加害者の日常生活や喜怒哀楽をしっかり描く」としているが、まさにその生活の中で起きた関東大震災と大惨事。朝鮮人や中国人への差別、銃後の女性や家族の生活、家父長制や男尊女卑、性への寛容、そして女性新聞記者が投げかける報道の在り方。

 時代考証や生活背景を丁寧に描きつつ、後半で一気に大虐殺に転じる恐怖。人間の不寛容と群集心理の描写は、背筋が凍る思いがした。

 大震災下で軍部や自警団などによる虐殺は、朝鮮人6000人あまり、中国人600人あまり、日本人89名にのぼると言われる。日本人の虐殺は、本映画の福田村で9人(妊婦の子供を入れると10人)、亀戸事件で川合義虎ら10人の労働組合などの活動家が惨殺された。甘粕事件では、無政府主義者大杉栄や伊藤野依夫妻、そして甥の橘宗一(7歳)が、甘粕大尉により9月16日に殺害されている。亀戸事件で惨殺された9人の写真やスケッチは現存するが、中筋宇八の写真やスケッチは現存しないようだ。

 先週、望月衣塑子氏の講演を聴く機会に恵まれ、書籍や映画などの紹介を受けた。なるほど、森達也監督との付き合いもある様子で、映画に登場した女性記者と望月衣塑子氏と重なって見えていたのは、実は森監督自身が映画に望月衣塑子さんをモチーフにした女性記者を加えていたのだと、しごく納得した。

 

第1次共産党事件収監者の引き渡し未遂事件

 震災発生3日後の3日、抜剣した東京憲兵隊が護送車数台を用意して、「共産党事件の被告全員を即時引き渡せ」と要求した。後難を恐れた所長が開門を拒んだため、渡辺正之輔、市川正一、徳田球一など数十人の社会主義者が虐殺を免れている。ここで、日本共産党の創設時の幹部が虐殺されていたならば、その後の日本共産党社会主義運動の歴史が違ったかも知れない、。歴史のイフ(IF)を垣間見る事件でもある。

 

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水生大海さんの「マザー/コンプレックス」を読んで

 痴漢事件をめぐる、3人とその家族の人間模様。水生大海さんらしい次々に起きる展開に一気に引き込まれる。痴漢事件をめぐる被害者、加害者と母親の人間模様。犯罪かえん罪か。3人3様に母親の思いの強さや支配欲が詳らかになり、その子供たちや身籠もる家族の心情が徐々に明らかになる。隙を見せない小気味よい展開、いつしか背筋がゾーッとするホラーの世界に紛れ込み冷や汗する。母子関係を考えさせられる作品でありつつ、男尊女卑や家父長制に警鐘を鳴らす作品でもある。

 

水生大海:マザー/コンプレックス.小学館文庫,2023(6月11日初版第1冊発行)

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永尾広久さんの「八路軍(パーロ)とともに」を読んで

 近年、NHKスペシャルなどで、戦時中の日記、音声記録等のエゴドキュメントで戦時中を振り返る番組が放映される。昭和天皇をめぐっては、戦後の初代宮内庁長官田島道治の拝謁記、戦前、戦中の侍従長を務めた百武三郎日記、戦中の宮内省御用掛の松田道一の膨大なメモなど、次々と発見され、昭和天皇をめぐる歴史の事実に新たな発見が加わっている。

 本作品は、著者の叔父の久のエゴドキュメントであり、本人や家族の記憶を丹念に検証し、さらに時代背景や日中戦争の歴史、ロシアの対日参戦の背景など、歴史書籍としても大変勉強になる書籍である。主人公は、福岡県三又村(現大川市)の徴兵検査で、「身体上きわめて欠陥が多い」という、「丙種合格(甲乙丙丁)」にも拘わらず、敗戦1年前に徴収され、中国に送られる。満州終戦を迎え、生き残るため八路軍に加わり、中国内戦に巻き込まれて紡績工場の機械技術者となる。過酷な軍隊生活や兵隊同士の会話から、戦争の愚かさを投げかける。工場で知り合った日本人女性と結婚し、1953年に日本に帰国するまでの数奇な物語。時代背景を捉えつつ、主人公を浮かび上がらせる著者の知識と見識の深さには圧巻する。

 

永尾広久:八路軍とともに.花伝社,2023(7月25日初版第1版発行)

 

www.kadensha.net

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