浅学菲才の嘆息

市川沙央さんの「ハンチバック」を読んで

 某新聞の著者取材記事を読んで興味が湧き、珍しく書店での購読となった。第128回文学界新人賞を受賞したデビュー作で、第168回芥川賞を受賞している。サクッと読んだつもりが、読みにくい漢字や流れを読み飛ばしてしまい、消化不良となり、インターネットで丹念に語句を調べながらの2度読みとなった。

 先天性の筋疾患を患い人工呼吸器と電動車椅子で、施設で暮らす40代の女性釈華。「本に苦しむせむし(ハンチバック)の怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないだろう」と本を持ってページを自在に繰れる等の健常性を要求する紙の本を憎む。一方で、性に対する羨望、もしくは渇望もさらけ出す釈華。日常生活やデジタル化に伴う、健常者優位主義をマチズモとルビを振る著者の思いとは。QOLやバリアフリーなどが叫ばれて30年以上経過するが、本当に全人間的に公正な社会として発展しているか。駅の改札は、相変わらずマジョリティ有利の右利き仕様になっている点など、社会の矛盾を考える機会となった。

 

市川沙央:ハンチバック.文芸春秋,2023(6月30日第1刷発行,7月25日第5刷発行購読)

 

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染谷一さんの「ギャンブル依存-日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか」を読んで

 アメリカの精神医学会(APA)の精神疾患診断分類、「DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル」には、2013年から「ギャンブル障害」が掲載され、正解保健機関(WHO)の国際疾病分類第10版(ICD-10)では、すでに「病的賭博」として分類されてきた。

 日本のギャンブルの歴史は古く、西暦689年には持統天皇が賭博としての「双六の禁止令」を出したほど、賭博は常に市井の中で息づいていた。そして、直近のデータでは、2014年時点で「国内にギャンブル依存症が疑われる人口は536万人(厚労省)」。チンコ、パチスロ、闇カジノ、競馬、競輪、競艇オートレース、宝くじ、ロト6など、日本では日常にギャンブルがあふれている状態でもある。そして、ギャンブル依存症者は、家族からの金銭の援助では飽き足らず、最終的には多重債務に陥り、生活破綻する。IR(総合型リゾート)を推進したい日本と財界の思惑は、2020年4月にギャンブル依存症への集団治療が保健適応されたことで幕引きを図っているようにも思える。ギャンブル依存症に陥った5人の詳細な事例紹介からは、生育歴や生活暦の重要性、報酬系となる神経伝達物質ドーパミン放出を分かりやすく解説する。

 なお、韓国では約20年前にパチンコを全廃したことを、ある書評で読んだ。日本も公営ギャンブルなどで、国民の苦難を扇動する事に終止符を打つべく、政治がもっと動くべきである。

 

なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか

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染谷一:ギャンブル依存-日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか.平凡社新書,2023(7月14日初版第1冊発行)

 

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深沢潮さんの「李の花は散っても」を読んで

 本作品は、時代背景として元号では大正時代、西暦では1910年に朝鮮併合を行ったあとの日本と朝鮮の歴史について世界史を俯瞰しつつ2人の女性の生涯を丁寧に描く。一人の女性は、朝鮮王朝に嫁いだ日本の皇族の方子。日朝融和の象徴としての政略結婚に五里霧中する気持ちの揺れ、何とか夫である李垠を支え、子孫繁栄と家族の安寧を願う生活を丁寧に描写する。一方、もう一人の生活困窮した日本人の少女マサは、基督教信者で朝鮮独立運動を続け、厳しい拷問にも耐えながらも祖国の独立運動に身を投じる男性に恋心を寄せ、夫婦になる。世情や日常生活を丁寧に描きつつ、忍び寄る軍靴、そして帝国日本の敗戦による占領政策により、日本国内で没落していく垠と方子は一子の成長に一縷の望みを託し、生きがいを見いだそうとする。一方のマサは、日本人であることをひた隠しにしながら朝鮮で生き続ける決意を固め、帰らぬ夫を待ち続ける。2人の女性の全く異なる境遇が、最後に一つの線、そして縁としてつながる様は、さすがに著者の真骨頂と言えるだろう。

 

深沢潮:李の花は散っても.朝日新聞出版,2023(4月30日第1刷発行購読)

 

publications.asahi.com

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古屋星斗さんの「ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由」を読んで

 昔から「今の若いものんは」と先輩達が嘆いていたが、今も昔も「今の若者」の対応と育成には苦慮する。社会背景や生活歴の違いも大きく関与するだろうが、2020年代の若者の特徴を、リクルートワークス研究所主任研究員の古屋星斗氏が、統計資料等も含めて検証する。氏が指摘するのは、労働法制の変化も要因とする。2015年に「若者雇用促進法」が施行され、採用活動の際に自社の残業平均時間や有休取得率、早期離職率などを公表することが義務づけされた。2019年には働き方改革関連法による労働時間の上限規制が大企業を対象に施行された。他にも2010年代後半から現在に至るまで、非常に多くの職場に関する法令が改正された事が要因の背景にあると指摘する。確かに、長時間過密労働などのブラック企業を問題視し、国会で追及した吉良よし子参議院議員の国会質疑は秀逸であった。一方で、若者の早期退職は後を絶たず、これまでの終身雇用制度から、ジョブ型雇用など、転職によるスキルアップこそが金科玉条のごとく、テレビCMも垂れ流される。若者退職の原因は、長時間過密労働などの労働負荷ではなく、スキルアップに関する焦り=焦燥感が一面としてあると指摘する。SNSの普及と共に、友人や知人が「大きなプロジェクトを任され達成した」「起業して成功している」などの情報より自分のスキルに不安を覚えての転職も少なくないと指摘する。

 若者をどう育てるか、大きなプロジェクトで一気にそだてるのではなく、「スモールステップ」による小刻みな育成の重要性を指摘する。また、学生時代からのインターンシップの期間を長くするなど、学生と企業との距離を縮めて、採用につなげることも重要だと指摘する。一方で、ハラスメント問題により管理職が適切な指導を忌避する傾向が強まり、若手職員への指導が不十分になっていることも指摘する。録音して訴えられるのではないかと脅える上司は指導にも気を使う。しかし、管理職が「勇気を持ってしっかりと自分の意見を若手に伝える」事が重要だとも指摘する。従来の様に一杯飲みに行って「不満を聞いてガス抜きしたら終わり」といった単純な時代でないことに留意して、若手職員の育成とキャリアアップ、職場への帰属意識を持たせる組織風土を醸成するには様々な創意工夫が必要だ。

 

古屋星斗:ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由.中公新書ラクレ,2022(12月10日初版,2023年1月25日再版購読)

 

www.chuko.co.jp

 

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映画「こんにちは、母さん」を鑑賞して

 映画「こんにちは、母さん」を鑑賞した。冒頭、東京駅や東京スカイツリーなど超近代化した風景と対照的な、下町の風情が今も息づいている東京を巨匠が見せる。

 各キャストの心情、喜怒哀楽、ときめきと落胆、山田監督らしい人間味を前面に押し出した展開に、声を出して笑い、落涙するシーンは少なくない。社会の中での人間の営みや価値観、何が幸せなのだろうか、諸処考えさせられる作品となった。

 どうしても寅さんや山田作品を思い出してしまうシーンの数々に感慨深い思いに包まれて。

 

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保坂正康さんの「歴史の定説を破る-あの戦争は『勝ち』だった」を読んで

 黒船来航で、江戸幕府が倒れて大政奉還し、明治政府が樹立されるも外国からの不平等条約で経済困窮に喘ぐ日本。戊辰戦争西南戦争などの内戦を克服し、欧米列強並みに振る舞おうとして背伸びするが限度がある。歴史では、日清・日露の両戦役に勝利したとされるが、著者の分析では必ずしも日本に有利な条件は引き出せておらず、本当に勝利と言えるか。明治以降、ほぼ10年に1回の戦役を続け、ついにアジア・太平洋戦争で大敗を喫した日本。敗戦の反省の上に平和憲法を樹立し、78年間他国と戦争していない国は珍しい日本。敗戦の反省と被爆という悪夢こそ、戦後日本の復興と勝利があったのではないかと投げかける。

 戦争と言えばクラウゼビィッツの戦争論から始まる。戦争は、①生存手段の確保、②安心できる空間の確保、③支配欲、の3つが絡み合って始まる。また、局地戦闘に勝利しているにもかかわらず戦争に負けた日中戦争ベトナム戦争など枚挙に暇がない。昨今のウクライナ戦争は、クラウゼビィッツのテーゼと異なっているのではないか。また、従来の戦争を変え、プーチン大統領が核の使用をちらつかせ、第2次世界大戦以上に機械化部隊が全面に立ち、ドローンを使った新たな戦術も生まれ、戦争企業が参戦して戦争の営業行為に転じている。一方で、サイバー戦争で戦争の一部が不可視になっている部分も否めない。

 あらためて、本書は「戦争は敗者の選択なのだ」とし、それを逆説的に検証しようと試みた意図がある。近代日本史は戦闘に勝ったと喜び、自省や自己点検を怠り、そしてやっと最後の太平洋戦争で「勝った」のだとする。新たなテーゼの獲得に成功したのだとするが、どう判断するか著者らしく問題提起を投げかける。「負けるが勝ち」を日本は体現しているのか。新たな戦前にならぬよう更なる平和を希求する声を重ねることが必要だ。

 

保坂正康:歴史の定説を破る-あの戦争は「勝ち」だった.朝日新書,2023(4月30日第1刷発行購読)

 

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三浦ゆえさん企画・構成の「50歳からの性教育」を読んで

 ライターの三浦ゆえ氏が企画・構成を立案し、村瀬幸浩さんをスーパーバイザーとして、著者5人の各テーマの執筆と村瀬幸浩さんと田嶋陽子さんの対談である。更年期の基礎知識と向き合い方。思い込みによるセックスの誤解解消の気づき。パートナーシップによる相手への尊重と傾聴。性志向と性自認の理解。性暴力加害者にならないための知識。そして、「ジェンダー」と「らしさ」をめぐる重鎮対談。受け身こそ「女性らしさ」という呪縛から脱却し、自己主張をもっと積極的にと女性を励ます。ペニス信仰、勃起・挿入・射精という男根主義に慣らされている男性への痛切な批判。性の歴史と在り方を平易に解説し、50歳から学び直そうと提案するが、自省を込めて全世代で学び直すべき課題として、多くの人々に読んで欲しい。

 

三浦ゆえ企画・構成,村瀬幸浩,高橋玲奈,宋美玄(ソンミヒョン),太田啓子,松岡宗嗣,斉藤章佳,田嶋陽子著:50歳からの性教育.河出新書,2023(4月30日初版発行購読)

 

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