浅学菲才の嘆息

常石敬一さんの「731部隊全史 石井機関と軍学産官共同体」を読んで

 15年に渡るアジア・太平洋戦争の最中に暗躍した関東防疫給水部、いわゆる731部隊の人体実験により、3000人を超えると言われる中国人やロシア人などが凄惨な死を遂げた。ペスト菌コレラ菌などの生物兵器の実験に供されて無残に殺された人。凍傷実験にて、手指が炭素化した人。親子で生体実験に供された母子。生体実験の事実は、1949年に行われたハバロフスク裁判の音声データが公開され、2017年のNHKスペシャルで放送されたことで731部隊の真実が揺るぎないものとなった。番組の監修を務めたのが著者の常石敬一氏である。本書は、被害の事実を明らかにしつつ、731部隊を率いた石井四郎が軍学産官共同体として組織化していく経緯を丹念に、そして多面的に可視化していく。1942年の中国に対する淅贛(せっかん)作戦では細菌兵器を実践使用し、自軍である日本軍に1万人近い被害者を出して、石井四郎は左遷・更迭される。しかし、わずか数ヶ月後には復任して、責任をとるどころか、自省・内省もないままに生体実験を続けた石井四郎と医学者、軍人たち。

 敗戦濃厚になると上位将校とその家族からいち早く帰国し、敗戦のためのマルタと呼ばれた捕虜や施設・設備の隠蔽に奔走された将校や軍属がロシアの捕虜となり、1949年のハバホロフクス裁判で裁かれる。戦中の人体実験などの論文は、表題を改竄して、学位を取得する医学者・研究者たちの蛮行。呆れるのは、人体実験の事実をサルの実験に改竄し、「サルが頭痛を訴えた」ことを論文の論拠にするなどの暴論が暴露される。フィリピン戦の体験を綴った大岡昇平の小説「野火」では、友軍の人肉をサルと侮蔑して人肉を売り買いするなどの堕落した帝国陸軍を描写し、インパール戦でも友軍の人肉を食えば腹が膨れるとの証言も遺されるなど、落ちぶれた帝国陸軍

 731部隊に関わった軍属やその関係者は沈黙を続ける。しかし、800点にも上る研究結果を遺したスライド等を米軍との取り引きに利用して、ほとんどの関係者が戦犯を受ける事もなく、むしろ戦後も大学や病院で人脈と権力を行使し続け、生体実験を行った医学者自身が軍部の被害者と嘯(うそぶ)いた手記をみるにつれ、暗澹たる思いになる。

 戦後の結核予防では、BCGワクチンに固執し続け、今もBCGに依拠する日本。著者は、戦後の日本の結核に対するBCG政策と、1972年に本土復帰した沖縄の検査と隔離を主とした結核対策を対比し、明らかに沖縄の政策が功を奏した分析する。コロナ禍で、PCR検査の充実に難色を示し、ワクチン頼みになった安部・管・岸田政権の新型コロナウイルス対策を厳しく指弾する著者の分析は、正に鋭い指摘であると共感する。

科学者であり医療専門職である我々に突きつけられた重要な総括書籍として、多くの研究者に読んで頂き、科学・医学の軍事利用を許さない普段の取り組みが重要である。

 

閑話休題

NHKは2017年に中国での731部隊の蛮行を詳細調査し、2021年にはフィリピンでのマラリア対策に関する、石井式濾過装置による飲み水の浄化開発と感染症に関するワクチンを現地人で生体実験し、事の責任を現地人の医学者モホタルに押しつけ、処刑した関東防疫給水部の関係者の蛮行を暴く。そして、マラリアの特効薬であるキニーネを巡って、キニーネを保管している友軍の衛生兵を襲って略奪する帝国陸軍の愚行など、詳報している取材に敬意を表したい。

 

NHKスペシャ

2017年8月13日(日)21時00分~21時49分放送

731部隊の真実~エリート医学者と人体実験 

監修 常石敬一秦郁彦

 

BS1スペシャ

感染症に斃れた日本軍兵士<前編>マラリア知られざる日米の攻防 2022年8月22日放送

 

常石敬一:731部隊全史 石井機関と軍学産官共同体.高文献,2022(2月25日第一刷発行購読)

www.koubunken.co.jp

honto.jp