浅学菲才の嘆息

多田富雄先生の「寡黙なる巨人」を読んで

 尊敬する経営事務幹部職員さんから「社会科学の目と構え」を学ぶ上で、参考になる1冊があるとの紹介を受け購読した。本来、人に薦められた本を読むことはほとんどないが、今回の3冊は全て紹介書籍であり、自分でも珍しいと思っている。

 国際的な免疫学者であり、能の創作や美術への造詣の深さ、文学や詩集にも広い知識をでも知られた著者。2021年に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺、言語障害、嚥下障害に対してリハビリテーションの日々を綴る。常に自死念慮にとらわれながら、日々関わるセラピストや家族・知人との交流もあり、深い絶望の淵から這い上がる。リハビリを続け、真剣に「生きる」うち、病前の自分への回復ではなく、内なる「寡黙なる巨人」へ目覚めていく。病後の充実した人生の輝きを放つ見事な再生を、全身全霊で綴った壮絶な闘病記と日々の思索が感銘を受ける。特に、2006年に起きた小泉構造改革による疾患別リハビリ日数制限への憤りと改善運動に傾注した著者の人権意識は、受け継ぐべき倫理観であると確信する。

 

閑話休題(1)】

理学療法士である自分が、30年以上患者・利用者の声をナラティブに聞いてきたつもりではあったが、こうやって文章として読んだ時に、まだまだ患者・利用者の声を聞き切れていない自分が恥ずかしい。若くして片麻痺となった主婦。子育て・家事の中で、明るく振る舞われているが、気づけばうつむき加減になって麻痺した右手をみて涙されるシーンを幾度見てきたことだろうか?セラピストとして働く時間は極端に少なくなったが、セラピストの後輩のために、共に学ぶ月1回の「脳の勉強会」を再開する。2000年9月にスタートして20年以上、コロナ禍で2年間の休止期間を余儀なくされたが、2月から感染対策をしながらテキストを用いて、私の生涯の課題である片麻痺・神経疾患セラピーの学習の再開は、嬉しい限りである。共に学ぶ意思を持って10名以上の職員が忖度して参加してくれるのには、申し訳ない気もするのですが…

 

閑話休題(2)】

本書にはセラピストへの不満も遠慮なく記載されているのだが、一部誤認、もしくは病院によるセラピーの質の問題提起がなされる。著者発症した2001年当時の嚥下リハビリテーションで言えば、1990年代より当時の聖三方原病院の藤島一郎先生が嚥下リハビリテーションを確立し、多くの著書を書き、嚥下リハビリテーションは全国的に随分普及していたと記憶している。1990年後半には言語療法士が国家資格として言語聴覚士となり、2002年の診療報酬改定では、PT・OTと同じ点数(個別・集団療養)になった。しかし、1990年代後半のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」等に代表される金融不祥事と省庁再編(厚生省と労働省が合体して、厚生労働省など)と共に、小泉構造改革による医療費抑制政策は極限となり、我々リハビリテーションの分野では疾患別リハビリテーション料の導入に伴う、疾患別リハビリ日数制限問題は、大きな社会問題となり、短期間で40万を超える署名と共に、異例の2007年リハビリ診療報酬改定となり、逓減制の導入などで迷走して、2008年に診療報酬改定で期限越えの医療的リハビリテーションは月13単位(1単位20分)が認められ、小児リハビリは18歳まで無制限などとなった。この経過を患者側として運動を牽引して頂いた多田先生には、感謝しかない。

 

多田富雄:寡黙なる巨人.集英社,2010(7月25日第1刷,2012年12月22日第6刷購入)

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