浅学菲才の嘆息

書籍「失敗の本質」を読んで

 

戸部良一さん、他で書かれた「敗の本質」を読ませて頂きました。

東京都知事小池百合子氏の座右の銘が「失敗の本質」と言われ、近年書店に平積みされていた書籍を購入し、自宅で積読したものにやっと辿り着きました。

戸部良一,他:失敗の本質 日本軍の組織論的研究,1991

 

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帝国陸軍の失敗から、組織がいかにあるべきか。

現在の、一部の国会議員、官僚、企業、スポーツ、身近な組織などで問題となっている、捏造、改竄、隠蔽、ハラスメントの根源は、旧帝国陸軍に端を発するのではないかと逡巡したのはわたしだけだろうか?

以下、備忘録として、自身のまとめを記載してみました。

 

 

【教訓1】計画には理論が伴わなければならない

 

 どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想にもとづかないプランや作戦は、女性のヒステリー声と同じく、多少の空気の振動以外には、具体的な効果を与えることはできない。

 

【教訓2】個人評価と組織学習
 (日本の軍隊においては)個人責任の不明確さは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、理論より声の大きなものの突出を許容した。このような志向が、作戦結果の客観的評価・蓄積を制約し、官僚的組織の下克上(日本史において下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒して身分秩序・上下関係を侵す行為)を許容していったのである。

 

【教訓3】不均衡の想像

 適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。あるいはこの原則を、組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない、といってもよいだろう。不均衡は、組織が環境との間の情報やエネルギーの交換プロセスのパイプをつなげておく、すなわち開放体制(オープン・システム)にしておくための必要条件である。完全な均衡状態にあるということは、適応の最終状態であって組織の死を意味する。逆説的ではあるが、「適応は適応能力を締め出す」のである。もちろん、われわれの分析枠組みでも明らかなように、ある時点で組織のすべての構成要素が環境に適合することが望ましい。しかし、環境が変化した場合には、諸要素間の均衡関係を突き崩して組織的な不均衡状態をつくり出さねばならない。
 均衡状態からずれた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、組織のなかに多様性が生み出される。組織のなかの構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間的・空間的に均衡状態に対するチェックや疑問、破壊が自然発生的に起こり、進化のダイナミックスが始まる。
 軍事組織は、他の組織と比較して組織内外にたえず緊張が発生し、不安定な組織であると考えられるかもしれないが、それは戦時だけのことである。それは、平時に、企業組織のように常時市場とつながりを持ち、そこでの競争にさらされ、結果のフィードバックを頻繁に受けるという、開放体制の組織ではないのである。だからこそ、軍事組織は平時にいかに組織内に緊張を創造し、多様性を保持して高度に不確実な戦時に備えるかが課題になるのである。
 日本軍は、逆説的ではあるが、きわめて安定的組織だったのではなかろうか?「彼ら(陸海軍人)は思索せず、読書せず、上級者となるに従って反駁(はんばく:他人の主張や批判に対して論じ返すこと。反論。)する人もなく、批判を受ける機会もなく、式場の御神体となり、権威の偶像となって温室の裡(り:うちがわ)に保護された。永き平和時代には上官の一言一句はなんらの抵抗を受けず実現しても、一旦戦場となれば敵軍の意思は最後の段階迄実力を以て対抗することになるのである。政治家が政権を争い、事業家が同業者と勝敗を競うような闘争的訓練は全然与えられていなかった」。さらにいえば、日本海軍について、次のような指摘がある。
 単一民族、大家族主義の上に組織された生活共同体的日本海軍であった。病気で勤めがままならなくなるとか、よくよくの失態でもないかぎり、だれでも大佐までは進級(昇進)させる。平時は福祉にも十分注意を払っていた。海に隔てられた別社会だった。
 創設以来75年たち、二代、三代と代替わりして、すっかり安定した日本人的な長老体制ができあがっていた。抜擢は大佐に昇級するまでで、将官になると、ずっと序列は変わらなくなった。本来、海上で働く将官は、少将で四十歳、大将は五十歳が理想とされたが、住み心地がよすぎたせいか、新陳代謝がすすまなかった。開戦のとき、中沢人事局長によると、だいたい五歳から八歳くらい老けすぎていた(開戦の時山本五十六長官五十七歳、永野軍司令部総長六十一歳)。
 仕事は決まったことのくりかえし、長老は頭の上に載せておく帽子代わりでよい、というのは平和時代のことである。戦時には、トップこそ豊富な経験と知恵の上に想像力と独創力を働かせ、頑健な身体と健全なバランス感覚で、誤りのない意思決定をしなければならなかった。

 

【教訓4】創造的破壊の突出

 既述のように組織がたえず内部でゆらぎ続け、ゆらぎが内部で増幅され一定のクリティカル・ポイントを超えれば、組織は不安定域を超えて新しい構造へ飛躍する。そのためには斬新的変化だけでは十分ではなく、ときには突然変異のような突発的な変化が必要である。したがって、進化は、構造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある。つまり、自己革新組織は、たえずシステム自体の限界を超えたところに到達しようと自己否定を行うのである。進化は創造的なものであって、単なる適応的なものではないのである。自己革新組織は、不断に現状の創造的破壊を行い、本質的にシステムをその物理的・精神的境界を超えたところに到達させる原理をうちに含んでいるのである。
 創造的破壊は、ヒトと技術を通じて最も徹底的に実現される。ヒトと技術が重要であるのは、それらがいずれも戦略発想のカギになっているからである。米軍は重要な戦略発想の革新を、ダイナミックな指揮官・参謀の人事によって実行した。
 これに対して日本軍は、ヒトを戦略発想の転換を軸として位置づけることを怠った。長老支配体制と若手将校による下克上(下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒して身分秩序・上下関係を侵す行為)が頻発するなかで、資源としてのヒトの活用はなされないままに終わった。
 日本軍はある意味において、たえず自己超越を強いた組織であった。それは,主体的というよりは、そうせざるをえないように追い込まれる結果であることが多かった。往々にてい、その自己超越は、合理性を超えた精神主義に求められた。そのような精神主義的極限は追求は、そもそも初めからできないことがわかっていたものであって、創造的破壊につながるようなものではなかったのである。

 

【教訓5】異端・偶然との共存

 おそよイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる、官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。日本軍は、異端者(正統から外れた思想あるいは信仰をもつ者、社会的な伝統・権威などに反発している者)を嫌った。独創的戦略論を唱えるなどの異端者は組織の中枢を占めるものはなかった。

 

【教訓6】知識の淘汰と蓄積

 組織は進化するためには、新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それを蓄積する。
 およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。ガダルカナルの失敗は日本軍の戦略・戦術を改めるべき最初の機会であったが、それを怠った。成功の蓄積も不十分であった。母艦航空部隊中心戦法(真珠湾攻撃の成功)など日本海軍が成功させておきながら、その後の一貫した集中的運用が不徹底であった。大東亜戦争第二次世界大戦)の最後まで、日本軍は自らの行動の結果得た知識を組織的に蓄積しない組織であった。
 これに対して、米軍は日本軍を攻撃する際には何が効果的で何が良くないかを海兵隊の過ちから完全に知りつくしていた。そして、緒戦の経験・教訓を基盤にして、その後の成功と失敗の経験を累積的に学習していったのである。

 

【教訓7】統合的価値の共有

 最後に、自己革新組織は、その構成要素に方向性を与え、その協働を確保するために統合的な価値あるいはビジョンを持たなければならない。自己革新組織は、組織内の構成要素の自律性を高めるとともに、それらの構成単位がバラバラになることなく総合力を発揮するために、全体組織がいかなる方向に進むべきかを全員に理解させなければならない。組織成員の間で基本的価値が共有され信頼関係が確立されている場合には、見解の差異やコンフリクト(競合、衝突、対立、葛藤、緊張など)があってもそれらを肯定的に受容し、学習や自己否定を通してより高いレベルでの統合が可能になる。ところが、日本軍は、陸・海軍の対立に典型的に見られたように、統合的価値の共有に失敗した。
 日本軍は、アジアの解放を唱えた「大東亜共栄圏」などの理念を有していたが、それを個々の戦闘における具体的な行動規範にまで理論的に詰めて組織全体に共有させることは出来なかった。このような価値は、言行一致を通じて初めて組織内に浸透するものであるが、日本軍の指導層のなかでは、理想派よりは、目前の短期的国益を追求する現実派が主導権を握っていた。「大東亜共同宣言」の一項に「大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢した大東亜の文化を昂揚す」とあるが、第一線兵士は現地における現実のなかで、どれほどこの理念を信じて戦うことができたであろうか?
    *ロジステック(兵站)を無視して、食料は現地調達の方針をとったため、大東亜共栄圏内にあるはずの住民・原住民より、食料の供出・略奪・収奪はエスカレートして、虐殺・惨殺・強姦・輪姦・破壊・爆破などを増長していった。
    *従軍慰安婦問題についても、朝鮮の方々だけが被害に遭ったわけではなく、中国やオランダ、南洋諸島の現地・原住民など広範囲の地域の方々も犠牲になった。
     
【教訓8】日本軍失敗の本質とその連続性

 

 自己革新組織とは環境に対して自らの目標と構造を主体的に変えることのできる組織であった。米軍は、目標と構造の主体的変革を、主としてエリートの自律性と柔軟性を確保するための機動的な指揮官の選別と科学的合理主義に基づく組織的な学習を通じてダイナミックに行った。
 日本軍には、米軍に見られるような、静態的官僚制にダイナミズムをもたらすための、①エリートの柔軟な思考を確保できる人事教育システム、②すぐれた者が思い切ったことのできる分権的システム、③強力な統合システム、が欠けていた。そして日本軍は、過去の戦略原型にはみごとに適応したが、環境が構造的に変化したときに、自らの戦略と組織を主体的に変革するための自己否定的学習ができなかった。
 日本軍は、独創的でかつ普遍的な組織原理を自ら開発したことはなかった。帝国陸軍が、本来の官僚制が適した大軍の使用・管理ができたのは、初期の進行作戦だけである。成長期には異常な力を発揮するが、持久戦にはほとんど敗者復活ができない。成長期には、組織的欠陥はすべてカバーされるが、衰退期にはそれが一挙に噴出してくるからである。
 日本軍は、近代的官僚制組織と集団主義を混同させることによって、高度に不確実な環境下で機能するようなダイナミズムをも有する本来の官僚制組織とは異質の、日本ハイブリッド(ふたつの要素を組み合わせて作られたひとつのもの)組織を作り上げたのかもしれない。しかも日本軍のエリートは、このような日本的官僚組織の有する現場の自由裁量と微調整主義を許容する長所を、逆に階層構造を利用して圧殺してしまったのである。そして、日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった、ということである。
 戦後、日本軍の組織的特性は、まったく消滅してしまったのであろうか。それは連続的に今日の日本の組織のなかに生きているのか、それとも非連続的に進化された形で生きているのだろうか?この問いに明確に答えるためには、新たなプロジェクトを起こし、実証研究を積み重ねなければなるまい。しかしながらわれわれは、現段階では、日本軍の特性は、連続的に今日の組織に生きている面と非連続的に革新している面との両面があると考えている。
 日本の政治組織についていえば、日本軍の戦略性の欠如はそのまま継承されているようである。しかしながら、日本政府の無原則性は、逆説的ではあるが、少なくともこれまでは国際社会において臨機応変な対応を可能にしてきた。原則に固執しなかったことが、環境変化の激しい国際環境下では、逆にフレキシブルな微調整的適応を意図せざる結果としてもたらしてきたのである。

 

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